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人生は曲がりまっすぐだァ! -ああ、僕がいて君たちがいる の巻 -
僕はどうしようもないいたずらっ子の太っちょだったようだ。「ようだ」と書くのは、僕の記憶にはそんなことは一切ないからだ。しかし、周りの大人たちからはそう言われてきた。
僕が小学校2年生の頃だったと思う。暑い夏の夕方だったのでパンツいっちょになって、母が畑仕事をしているわきで遊んでいた。遊びに飽きてきて、
「かあちゃん、おれ、どこから生まれたんだ?」と訊くと、
「神様が贈ってくれたんだよ」と面倒くさそうに言うから
「うそだい。神様なんかいないんだろう?本当はどこから来たのか知ってるんだ」
と言いながら、どかっと道端に座った途端にビリッとやってしまった。これで4度目だ。パンツが小さいのだ。兄貴のお下がりだ。お尻からおちんちんのほうにかけてしっかりと破れていた。
すると、母がくるりと振り向いて
「またかい!」と言った。
僕はその時、赤ちゃんは、母のまたから生まれてくるのだと、本当のことを教えてもらった気がした。
それまでは、祖母から教えられていた通り、僕はからす川の橋下の土手から拾われてきた子供だと信じていたから、どの子もみんな近くの川の土手から拾われてくるのだと当たり前に思っていたものだ。おばあちゃん子という者はこんなものなのかなあと漠然と今も思っている。そしてそもそも、これが僕の人生の始まりだった。
そんな僕も人並みに恋をするようになった。女性に恋焦がれる年ごろには、かつてのいたずら坊主はどこかに消えてしまっていた。言葉もかけられない小心者に変身していたのだ。小学校4年生になって経験した初恋騒ぎ以来、中学時代も高校時代も何人もの女子生徒を恋し、想いを募らせても、言葉に出せずじりじりしながら彼女たちに言い寄りたい気持ちだけが先走る日々を過ごしたものだ。いつしか彼女たちは一人残らず、僕から遠くへ行ってしまっていた。
大学時代は今までの反動でその道のお姉さん方を相手にしたのはいいが、いいように手玉に取られてしまった。身も心も金もスッカラカンのからっけつになってしまって仲間や友のアパートでしばらく居候を決め込んだりもした。学生運動にも巻き込まれもした。
失恋と言うか破恋と言うか、はたまた爆恋と言ってもいいのかもしれないが、長い遍歴の間にたくさんの友や仲間ができた。今では、彼らが心の財産になっている。彼らに活かされていると言ってもいいくらいだ。だから、大学も無事に卒業できて、企業に勤めることもできて、家庭も持てたのだ。幸せとはこういうことなのだと思っている。
思えば、僕が生まれてきたからたくさんの友や仲間ができたことになる。家族以上に心の交流のある連中だ。
生まれてこなかったなら・・・そう思うと怖くなる。だからこんな人生に僕は感謝する。
もしも、「私なんか生まれてこなければよかったのだ」と思う者がいるなら、馬鹿野郎!と思いっきりぶん殴ってやろうじゃないか。ただ生きるよりも仲間の大切さを知ることが重要なのだ。
ああ、僕がいて君たちがいる幸せ、それこそ僕は幸福者ではないか。
続く・・・